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見上げればいつも青空があり、その時々の雲の表情があるように、

 

あなたの中にも内面の風景があり、そこにも青空が広がっています。

 

空の表情が決して止まらず、刻々と変わって行くように、
内面の風景の空模様も変わり続けています。

 

あなたが、私だと思い込んでいる、私の思考や気分・感情、そして記憶など、
内面に認識できる全てを 今、雲だと思ってみて下さい。

最近の秋晴れのように、雲のない青空は存在しますが、

 

空がない雲は存在できません。

 

考えるまでもなく、当たり前の事ですよね。

 

あなたの内面の風景も、全く同じです。

 

思考や感情などの雲がない青空(意識空間)は存在しますが、逆はあり得ません。

 

目には見えないけれども、確かに在るこの青空を

変わり続ける思考の雲の背後や周りに感じてみましょう。

 

本当のあなたは、変わり続ける雲ではなく、青空なのです。

 

 

 

上からの雲2

 

小学校4〜5年生の時、商店街の上に自宅があり、ある時2階の窓から商店街を行き交う人々をただ眺めていました。

買い物をして店先でやり取りする人々を見ながら、世間話をしている人々の雑多な声をただ聞いていました。

そしてふと見上げると、青空と静かに流れる雲達がただそこにありました。

すると突然、考えるでもなく一つの疑問がはっきりと浮かんで来たのです。

 

 

「この世界は、何故あるのか? 世界があるとは、どういう事なのか?」

 

 

その疑問と共に、しばらくの間、世界という現実味というか臨場感がとても希薄になったのを今でもはっきりと覚えています。

 

世界が在ることそのもの、私が在ることそのものの不可思議さの一撃でした。

 

大人になって行くにつれ、この在ることそのものの上で起こっている、あらゆる思考、行為、出来事に私達は魅了されて行きます。

 

何か、とても大切なものが忘れ去られて行っている事も知らずに・・・

今、あなたが、人生の途上で何かが欠けている、何か虚しいと感じているのなら、

その答えは、在ることそのものの不可思議さの中に、きっとありますよ。

 

頭は空っぽにして、心をおもいっきり開いて、この不可思議さにしばし寛いでみて下さい。

 

ウサギ、マイケル2

 

そろそろ前回の続きを話さないといけませんね。

思考ウサギを黙らせるバカボンのパパ・ポイントのお話しでした。

ちなみに、僕はウサギは好きです。(笑)

写真の彼は、マイケルです。よろしくお願いします。

思考ウサギが悪い訳ではありません。ウサギはただ役割を果たしているだけです。

 

それを放っておけず、着いて行ってしまうから、葛藤したり苦しくなったりするのです。

 

さて、思考ウサギはポジティブとネガティブの両極を行ったり来たりしています。どちらに長く留まるとか、跳ねるパターンに違いはあれど、大差ありません。

ポジティブな方にいる時はネガティブは隠れており、ネガティブな方にいる時はポジティブは隠れています。どんなに早く飛び跳ねても同時に両極にいることは出来ません。

 

バカボンのパパ・ポイントだけが、両極を同時に見切っているのです。

 

思考ウサギは、どんなに頑張っても、このポイントに降り立つことは出来ません。

しかし、ちょっと見方を変えて、隠れている極にも実はウサギがいて、隠れているから見えないだけだとしてみましょう。

 

次に、あえてポジティブ側にいるウサギとネガティブ側にいるウサギを両方表に出してしまうのです。

 

そして、どちらもよし!と言って、両方とも肯定してぶつけてしまうのです。

 

 

例えば、何かが欲しいと思っている時に、それが得られてもよし!得られずともよし!と言ってみるのです。

何かの問題があって解決したいと思っている時に、解決してもよし!解決しなくてもよし!と言ってみるのです。

悟りたいと頑張ってもがいている時に、悟ってもよし!悟らずともよし!と言ってみるのです。

 

どうです?(笑)

 

ふざけるな〜!って頭は怒りだしますよね。もしくは、ナンセンスだと言って冷笑しますか。はたまた、弱者の逃げ口上、戯言でしょうか。

 

一つ、確かな事は、頭でこれをやったら決して納得できないし、意味をなしません!

 

しかし、これを頭ではなく、違う場所でやってみて下さい。もう一度!

 

その場所は、あなたのハートです。

 

ハートなんて分からないというなら、胸の辺りでいいですからね。感じずらいなら胸に手を当てながらやってみるといいと思います。ハートに意識を合わせるのです。

 

ハートにしっかりと意識を合わせてから、両極の思考ウサギをあえて表に出して、どちらもよし!すべてよし!と言ってみて下さい。

 

そして、何が起こるのかをただ見守ります。

 

頭に戻ってしまいそうなら、呼吸に意識を合わせてハートに留まっていて下さい。

 

分からなくても、それもまたよし!とハートで言ってみて下さい。

 

あなたの意識が、頭にいる時とハートにいる時の違いが、少しでも感じられたならそれで充分です。後は、何度も色々な思考ウサギを捕まえて練習してみて下さい。

 

そのうちに、バカボンのパパ・ポイントに完全に飲み込まれてしまいますから!(笑)

 

 

 

 

吾唯足知blog

 

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禅寺の庭には、よく写真にあるような蹲踞(つくばい)があります。水が溜まる様に掘られた中央の正方形の四方には、文字が彫られているのが見えます。

四つの文字は中央の正方形を共有し、上から時計回りに、「吾唯足知」と読む事ができます。

僕は、とてもお洒落なデザインに感心してしまい、いつか自分もこの蹲踞をお庭に置きたいと思っています。今のところ、置けるようなお庭はありませんが。(笑)

 

吾、唯足るを知る

 

これは、禅のとてもシンプルな教えです。ここで大事な所は、唯(ただ)ということです。

唯(ただ)とは、何の理由も原因もなくという意味。

足るを知るのに、なんの理由も原因もいらないよと、教えてくれている。

ひらたく言うなら、ただ幸せでいてごらん!それに気付いてごらんなさいと、教えてくれていると思います。

 

幸せになるのではありません。すでに幸せでいることに気付くということ。

 

私達は、それに気付いていないから、足りない、まだ足りないと自分の外にばかり意識を向けて、幸せになる原因をモノ、コト、人、状況に求めてしまうのですね。

ここから、人生のあらゆるドラマが展開されて行きます。得られる事も得られない事もある。たとえ得られても、すぐに失う恐れがやって来て、幸せは永続しない。だから、次々と求めざるを得なくなる。得られなかったら、更に不幸ですね。

インドの最古の聖典ヴェーダンダの知恵にも、同じ事を伝えている教えがあります。

 

理由のある幸せは、形を変えた不幸である。

 

ん〜っ、まさに。人生長く生きている人ほど、身にしみて分かる様な教えです。

さて、どうしたらその理由のない幸せ、唯足りていると感じられるのだろう?と、考えてしまいましたか?

 

どうしたら?という問いそのものが、すでに理由を探しているのです。

 

ですから、思考に着いて行っても、吾唯足るを知れません。

 

思考の流れに着いて行かず、逆にその源流を辿ってみて下さい。

 

焦らないで、何度でも何度でも、源へと意識を向け直して下さい。

するとそこに、こんこんと静かに湧きいずる幸せの泉があります。

 

 

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今、ここで、君の身体の只中で、ただ幸せでいてごらん。

「ただ」とは、何の理由もなくということ・・・

だから、幸せでいるための原因を探したり、作ったりする必要はないんだよ。

もし君が、幸せでいられない理由で頭がいっぱいなら、それこそ、

何の理由もなく,ただ幸せでいることが出来ると知るチャンス。

幸せとはこうあるべき!とか、条件を付けた閉じた想いや望みは、

叶わないかもしれない。

でも、その想いの背後に完全に開かれた、とても静かで穏やかな幸せには、

いつでもどこでも、ふれることができる。

君が今、たった今、その気になればね!

ここでの大切なコツはね、ベリ〜ファースト! スピード感さ。

何故だかわかるかい?

でも・・・、だって・・・と、幸せに抵抗する思考があっという間にやって来て

君を理屈でガンジガラメにしてしまうからさ。

思考よりも速く、たった今、ただ幸せを感じちゃったもん勝ちなんだ。

だから、理由を考えたり引っ張り出してるひまなんてないのさ。

失敗しても心配いらないよ。毎瞬、毎瞬、チャンスだらけだから。

あまりにもチャンスだらけだから、いつでもいいや〜って思ってしまい、

いつまでたってもやらない!っていうのが、逆説的わなだっていう事を

君は知っているかい?深いだろ〜?!

だったら、君はいつやるの? 今でしょ!(笑;古いけど本当のこと)

 

「ただ」こそ、幸せを開く鍵だって分かったかな?

 

どうやって?と問う前に、ただ幸せでいてごらん。

上手くできない!と言う前に、ただ幸せでいてごらん。

幸せになりたいと言う前に、ただ幸せでいてごらん。