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吾唯足知blog

 

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禅寺の庭には、よく写真にあるような蹲踞(つくばい)があります。水が溜まる様に掘られた中央の正方形の四方には、文字が彫られているのが見えます。

四つの文字は中央の正方形を共有し、上から時計回りに、「吾唯足知」と読む事ができます。

僕は、とてもお洒落なデザインに感心してしまい、いつか自分もこの蹲踞をお庭に置きたいと思っています。今のところ、置けるようなお庭はありませんが。(笑)

 

吾、唯足るを知る

 

これは、禅のとてもシンプルな教えです。ここで大事な所は、唯(ただ)ということです。

唯(ただ)とは、何の理由も原因もなくという意味。

足るを知るのに、なんの理由も原因もいらないよと、教えてくれている。

ひらたく言うなら、ただ幸せでいてごらん!それに気付いてごらんなさいと、教えてくれていると思います。

 

幸せになるのではありません。すでに幸せでいることに気付くということ。

 

私達は、それに気付いていないから、足りない、まだ足りないと自分の外にばかり意識を向けて、幸せになる原因をモノ、コト、人、状況に求めてしまうのですね。

ここから、人生のあらゆるドラマが展開されて行きます。得られる事も得られない事もある。たとえ得られても、すぐに失う恐れがやって来て、幸せは永続しない。だから、次々と求めざるを得なくなる。得られなかったら、更に不幸ですね。

インドの最古の聖典ヴェーダンダの知恵にも、同じ事を伝えている教えがあります。

 

理由のある幸せは、形を変えた不幸である。

 

ん〜っ、まさに。人生長く生きている人ほど、身にしみて分かる様な教えです。

さて、どうしたらその理由のない幸せ、唯足りていると感じられるのだろう?と、考えてしまいましたか?

 

どうしたら?という問いそのものが、すでに理由を探しているのです。

 

ですから、思考に着いて行っても、吾唯足るを知れません。

 

思考の流れに着いて行かず、逆にその源流を辿ってみて下さい。

 

焦らないで、何度でも何度でも、源へと意識を向け直して下さい。

するとそこに、こんこんと静かに湧きいずる幸せの泉があります。

 

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