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2020年 5

今後の開催につきましては、状況によって

日程変更やオンラインによる開催になる場合もございます。

その都度ウェブサイトでお知らせいたしますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

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・5/17(日)@東京 13:00~17:00      青空禅塾

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・5/23(土)@大阪 13:00~17:00 青空禅塾

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・5/24(日)@広島 13:00~17:00      青空禅塾

このたびの新型コロナウィルスに罹患された皆様と、感染拡大により生活に影響を受けられている地域の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。

今後急速な感染拡大の危険もあり、参加者の感染リスクを回避する為に、残念ですが4月25日、26日に予定しておりましたリトリートは中止とさせて頂きます。
今後は、状況をみて決定して行きます。
皆さまのご無事と平安をお祈りしています

2020年 3

みなさまとお会いできることを楽しみにしてます!

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・3/1(日)@東京 13:00~17:00      青空禅塾

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・3/28(土)@大阪 13:00~17:00 青空禅塾

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・3/29(日)@広島 13:00~17:00      青空禅塾

まずは、自分の内面にも青空が広がっていると感じてみましょう。

それだけでも、清々しく心地よくなります。

その内面に広がる青空に、次々と想念の雲が湧いて来て、風に運ばれて消えて行きます。

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青空に退いて、広がって寛いでいるならばポジティブな雲であろうと、ネガティブな雲であろうと、ただ湧いて消えて行くだけです

青空は、いちいち雲の形や色や大きさ、そして高さなどを判断して、文句を言ったりはしません。

 

しかし、私達のほとんどは、青空(純粋意識の広がり)ではなく、雲(思考、気分・感情、記憶、イメージなど)が私であると錯覚しているので、雲の形や色や大きさが気になって仕方が無いのです。

なので、ひっきりなしに雲を判断し、批評し続けています。もしも雲が本当に私そのものならば、私という存在は全く一貫性のない変化し続ける、いいかげんな奴だと思いませんか?(笑)

 

でも、それが本当に「私」でしょうか。「私」とネーミングされているものが、本当は何を指し示しているのか、本当は何のことなのかを一度本気で見直してみることです。

 

やってみれば分かりますが、本気で見直すというのは、実は容易なことではありません。あっという間に、様々な雲が湧いて来て、私を誘惑し、連れ去ってしまうからです。(笑)

見直そう〜と、力が入って頑張ってしまうと、逆に雲だらけになってしまって、疲れるだけです。

 

本気で見直すコツは、逆説的なのです。やろう〜と頑張るのではなく、なるべくリラックスすることです。もともとリラックスという言葉の語源は、「後ろに退いて広がって寛ぐ」という意味だそうです。

 

そこで、なるべく練習、実践して欲しいコツは、

雲の後ろに退いて、さらに退いて、青空に思いっきり広がって、そして寛ぐことです。

 

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見上げればいつも青空があり、その時々の雲の表情があるように、

 

あなたの中にも内面の風景があり、そこにも青空が広がっています。

 

空の表情が決して止まらず、刻々と変わって行くように、
内面の風景の空模様も変わり続けています。

あなたが、私だと思い込んでいる、私の思考や気分・感情、そして記憶など、
内面に認識できる全てを 今、雲だと思ってみて下さい。

最近の秋晴れのように、雲のない青空は存在しますが、

 

空がない雲は存在できません。

 

考えるまでもなく、当たり前の事ですよね。

 

あなたの内面の風景も、全く同じです。

 

思考や感情などの雲がない青空(意識空間)は存在しますが、逆はあり得ません。

目には見えないけれども、確かに在るこの青空を
変わり続ける思考の雲の背後や周りに感じてみましょう。

 

本当のあなたは、変わり続ける雲ではなく、青空なのです。

 

上からの雲2

小学校4〜5年生の時、商店街の上に自宅があり、ある時2階の窓から商店街を行き交う人々をただ眺めていました。

買い物をして店先でやり取りする人々を見ながら、世間話をしている人々の雑多な声をただ聞いていました。

そしてふと見上げると、青空と静かに流れる雲達がただそこにありました。

すると突然、考えるでもなく一つの疑問がはっきりと浮かんで来たのです。

 

 

「この世界は、何故あるのか? 世界があるとは、どういう事なのか?」

 

 

その疑問と共に、しばらくの間、世界という現実味というか臨場感がとても希薄になったのを今でもはっきりと覚えています。

 

世界が在ることそのもの、私が在ることそのものの不可思議さの一撃でした。

 

大人になって行くにつれ、この在ることそのものの上で起こっている、あらゆる思考、行為、出来事に私達は魅了されて行きます。

 

何か、とても大切なものが忘れ去られて行っている事も知らずに・・・

 

今、あなたが、人生の途上で何かが欠けている、何か虚しいと感じているのなら、       その答えは、在ることそのものの不可思議さの中に、きっとありますよ。

 

頭は空っぽにして、心をおもいっきり開いて、この不可思議さにしばし寛いでみて下さい。

 

 

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小さい頃から、将来やりたい仕事はなぜか決めていました。

お医者さんになりたいという気持ちは、ずっと変わる事なく、迷った事は一度もありません。

親は電気屋さんをしていて、親戚にも医者はおらず、動機を尋ねられるといつも答えるのは、幼い頃から母が身体が弱くてよく入院をしていた事や、自分自身が13歳の時に肝臓を患い3ヶ月以上入院していた事です。

でも本当は、生まれる時にすでに決めてきていたと感じています。

しかし、医者になってからは、迷いと葛藤の連続でした。

今振り返ってみると、外科医の時には身体という物質的現実と向き合って来ましたし、心療内科医の時には人間の心と身体の複雑な相関関係に向き合ってきました。そして、西洋医学を離れてからは、人間の心身のより精妙な仕組みや構造の不思議さにのめり込んで行きました。

潜在意識、無意識を含めて、心の何層にも渡る因果の謎解きは、とても面白く感動的でもあり、夢中になっていました。

おそらく、この世界は、いくらでも次から次へと私達を魅了させ続ける謎解きを提供し続けることでしょう

この世界とは、私の外に広がる物質世界と私の内に広がる心の世界の両方です。

 

私達は、この世界に善かれ悪しかれ魅了され続けています。

私の内側,外側という世界に魅了され続けている!

ポジティブだろうがネガティブだろうが、魅了されていることに変わりはありません。

世界のあらゆる内容から、ちょっと目を離して、私の外側と内側という世界に魅了されている事に気づいてみて下さい。

うまくいけば、ちょっと不思議な感覚になれると思います。

 

ウサギ、マイケル2

そろそろ前回の続きを話さないといけませんね。

思考ウサギを黙らせるバカボンのパパ・ポイントのお話しでした。

ちなみに、僕はウサギは好きです。(笑)

写真の彼は、マイケルです。よろしくお願いします。

思考ウサギが悪い訳ではありません。ウサギはただ役割を果たしているだけです。

 

それを放っておけず、着いて行ってしまうから、葛藤したり苦しくなったりするのです。

 

さて、思考ウサギはポジティブとネガティブの両極を行ったり来たりしています。どちらに長く留まるとか、跳ねるパターンに違いはあれど、大差ありません。

ポジティブな方にいる時はネガティブは隠れており、ネガティブな方にいる時はポジティブは隠れています。どんなに早く飛び跳ねても同時に両極にいることは出来ません。

バカボンのパパ・ポイントだけが、両極を同時に見切っているのです。

 

思考ウサギは、どんなに頑張っても、このポイントに降り立つことは出来ません。

しかし、ちょっと見方を変えて、隠れている極にも実はウサギがいて、隠れているから見えないだけだとしてみましょう。

次に、あえてポジティブ側にいるウサギとネガティブ側にいるウサギを両方表に出してしまうのです。

そして、どちらもよし!と言って、両方とも肯定してぶつけてしまうのです。

 

 

例えば、何かが欲しいと思っている時に、それが得られてもよし!得られずともよし!と言ってみるのです。

何かの問題があって解決したいと思っている時に、解決してもよし!解決しなくてもよし!と言ってみるのです。

悟りたいと頑張ってもがいている時に、悟ってもよし!悟らずともよし!と言ってみるのです。

 

どうです?(笑)

 

ふざけるな〜!って頭は怒りだしますよね。もしくは、ナンセンスだと言って冷笑しますか。はたまた、弱者の逃げ口上、戯言でしょうか。

一つ、確かな事は、頭でこれをやったら決して納得できないし、意味をなしません!

 

しかし、これを頭ではなく、違う場所でやってみて下さい。もう一度!

 

その場所は、あなたのハートです。

 

ハートなんて分からないというなら、胸の辺りでいいですからね。感じずらいなら胸に手を当てながらやってみるといいと思います。ハートに意識を合わせるのです。

 

ハートにしっかりと意識を合わせてから、両極の思考ウサギをあえて表に出して、どちらもよし!すべてよし!と言ってみて下さい。

そして、何が起こるのかをただ見守ります。

 

頭に戻ってしまいそうなら、呼吸に意識を合わせてハートに留まっていて下さい。

 

分からなくても、それもまたよし!とハートで言ってみて下さい。

 

あなたの意識が、頭にいる時とハートにいる時の違いが、少しでも感じられたならそれで充分です。後は、何度も色々な思考ウサギを捕まえて練習してみて下さい。

 

そのうちに、バカボンのパパ・ポイントに完全に飲み込まれてしまいますから!(笑)

 

ブログ狸

天才バカボンのパパは、何といっても最強ですよね。

太陽が西から昇って、東に沈んでも、           「これでいいのだ!」

たとえ何が起ころうが、起こるまいが、          「これでいいのだ!」

あなたは、どうですか?

本気で、心の底からそう言えますか?

悟っていようと、迷っていようと、大差ない!

「これでいいのだ!」

どうです?最強でしょ?(笑)

 

さて、気づいているのは私ではないですが、思考してるのも私ではありません。

だから放っておけばよいのですが、なかなかそうはいきませんよね。

私は、べったりと思考に張り付いていますから、目が離せないんです。

よく観察していると分かりますが、思考はポジティブとネガティブの二極を落ち着きなく行ったり来たりしています。まるでシーソーの両極を行ったり来たりと飛び跳ねるウサギの様なものです。

飛び跳ねるパターンや、どちらのサイドにより長くいるか程度の違いはあれど、大差ありません。

思考ウサギは、どう頑張ってもシーソーの両極にしか飛び降りれません。シーソーのバランスを支えている真ん中の支点には居られないのです。

ちょっと実験してみて下さい。何であれ、ポジティブな事とネガティブな事を全く同時に考えてみて下さい。

 

どうですか?  できましたか?

どんなに速く切り替えても、時間差ができてしまいますよね?

シーソーの両極を支えている真ん中の支点の一点は、両極を同時に見切っている特異点なので、 思考ウサギはこの特異点には飛び降りれないのです。

ちなみに、この特異点のことを僕は「バカボンのパパポイント」と呼んでいます。

今日は、このバカボンのパパポイントへの落下方法をお伝えします。

 

えっ?!落ちたくない?

分かりますよ〜。落ちたらまともに生きて行けなくなりそうですもんね。(笑)

バンジージャンプより怖いですよ。命綱が切れちゃうかもしれないので。

 

なので、覚悟をするために、少し間を空けた方が良さそうな気がして来ました。

 

しばらく時間を取って、このまま思考ウサギにべったり張り付いたまま、ポジティブとネガティブの両極を行ったり来たりし続けたいかどうかを感じてみて下さい。

 

それではまた。

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なんであれ何かに気づく時、気づく側が主体としての「私」、気づかれる対象が客体としてのあらゆるモノ、コト、人、状況。

主体と客体が分離していて、主体が客体に気づき、認識しているというのが、二元対立の世界観です。私達は、何の疑いもなくこの世界観の認識構造の中で生きています。

非二元の世界観では、この主体と客体は分離していません。よ〜く観察したら明らかですが、主体と客体は、一体として同時発生しています。主体と客体のどちらかが消え去れば、もう片方も消え去ります。

主体に与えられた感覚のネーミングが「私」、そして客体は森羅万象、無数のネーミングが与えられています。

ある時、主体の「私」は、覚醒・悟り・真我・非二元を概念として認識します。つまり、覚醒・悟り・真我・非二元を分離した客体として認識してしまったという事です。

そこから、私は覚醒したい、悟りたい!という欲求が生まれて探求が始まります。

中には、最初に何らかの一瞥体験があって、一体自分に何が起きたのか?と思って、 探求が始まるケースもあります。

真実が知りたい、真の自由が欲しい、無条件の愛を感じたい、神と一体になりたい、等々・・・

どんな言葉を使おうと同じです。

何が同じかというと、主体の私が、客体のそれに気づいて、それを求めるという構造です。

まずは、何を求めているのであれ、この認識の構造の中に囚われていることを明瞭に見抜いて下さい。

この構造自体が夢であり、幻想なのです。

この構造の中にいながら、覚醒!夢から覚める!というのは、実はまだ、夢から覚める夢を見ているに過ぎないという事です。

そこで、探求の角度を変えてみて下さい。

「私が、何かに気づいている。」から、「気づきが、私感覚(主体)と何かの対象(客体)を同時に生じさせている。」へ。